自分の性格はなかなか変えられないが、行動は変えられる。
誰かが言った言葉か覚えていませんが、そんなことはわかっています。
どうやったら行動を変えらえるのか。
具体的な方法が、無い。
わかっていたら、全人類、みんなこんなに悩まない。
そんななか、せめて自分だけでも、行動が変えられないか、試行錯誤しています。
読売新聞 3/7朝刊の「時代の証言者」
最近は養老孟司氏。
若いころから周りの研究者を見ていると、最新の英語論文を読み、「何か新しいことはないか?」と探している。それはへんじゃないか、と思ってきた。だって彼らが探しているのは過去に発見され、済んじゃったことばかりです。
ちょうどこの言葉を見る前に、鈴木祐氏の 無<最高の状態>を読んでいました。
鈴木氏は、日本屈指の科学論文オタク。
10万本科学論文を読破されているというツワモノ。
書籍の先に論文がある分野もあると思うので、すごいな、と思っていました。
養老氏がしてきする「へん」な人は、専門の博士課程の人、これから新しいことを生み出さないといけない人のことを指すと思うのですが
鈴木氏の本を読みながら養老氏の考えを知ったので、
(もしかすると鈴木氏のことも含まれるのかな)
と考えてしまいました。
博士課程の人が、他人の論文を見ずに、オリジナリティあふれた論文を書くのは
とてもできないと思います。
でも、他の人の論文ばかりみていては、
「自分の考え」がないじゃないか!
ということでしょう。
鈴木氏は、おそらく、
「多くの情報を入手し一般の人に有益な情報を展開すること」
に価値を置いていると思うので、論文は、見れば見るほど
有益な情報に当たる確率も高いと思います。
でも、ただ、入手しているだけではだめで、得た情報をもとに
どれだけ価値のある情報としてアウトプットできるかが重要でしょう。
人によっては、多すぎる情報はまとめるのに時間がかかったり、
どちら付かずな結論になってしまう危険性もあるため
ある程度の情報量で区切ってアウトプットし始めるのがよいのでしょう。
最後には、「バカの壁」、現在460万部という大ベストセラーが生まれるまでのいきさつが紹介されていますが、
売れた後で何か変わったのか
とよく聞かれるそうです。
その時の言葉が、肩の力が抜けた、いかにも養老氏らしい感想なのが印象的でした。
日経新聞の「私の履歴書」が好きだったのですが、
「時代の証言者」もなかなかいいな。。。