2023年4月7日金曜日

本当に知らなかった江戸時代がわかる「逝きし世の面影」

 


以前の記事で、この本を読もうと決めて


やっと手に入りました。



しかし、、、、、、


思っていたのと違った。




分厚い。


相当分厚い。。。


今年最厚。


近くにあった成毛氏の書籍と合わせて撮ってみた。



読み切れるかな・・・?


次に問題が。。。


タイトルが読めない!


逝く(ゆく)なら何とか読めるのですが、


逝きし


。。。


ゆきし?


いきし?


ちょうど検索に引っかかった

『逝きし世の面影』の読み方

この本をどう読むかということは、この本が記録で編まれているだけに問題で、それによって読者の心に抱かれる近代以前の日本人像が大きく異なってくる。


・・・

・・・

・・・


ちがう!

この本をどのような気持ちで、どのような前提条件で、どうやって利用していくか、といった観点の「読み方」じゃないんですよ。


単純に、どう発音するかが知りたいんですよ。


はっきり読めないまま、とりあえず、「ゆきしよのおもかげ」と考えてみる。


表紙も以前の記事に載せていたものと違う、、、これも出版社が違うだけで

中身は同じであろうと考えてみる。


さあ、どんな内容か。


第一章 ある文明の幻影


日本近代が古い日本の制度や文物のいわば蛮勇を振った清算の上に建設されたことは、あらためて注意するまでもない陳腐な常識であるだろう。


・・・堅い。

文章が堅い。


読み進められるだろうか。

とりあえず読んでいく。


。。。。。


。。。


。。


多少言い回しは堅い部分はありますが、要は


江戸時代の日本を外国人から見た視点の紹介


ですね。

で、日本人は自分たちを客観的に説明できない(当たり前すぎて書けない)ので

外国人から見たほうがわかる部分もあるし、

文書として残す、という点でも外国人のほうがちゃんとしているので

現代の私たちにも(多少誤解はあるかもしれないが)かなり参考になる情報、

ということになる。


みていくと、確かに面白い。

というか、江戸時代、見てみたくなりました。


何となく、武士がいたり、農民が大変そうだったり

太秦映画村のような、遠山の金さんのような、何となくのイメージしかなかったのですが

そんな淡いイメージが吹き飛びました。


とりあえず心に残ったところだけ書いていきます。

P98

日本人の家には家具らしきものがほとんどないというのは、あらゆる欧米人が上陸後真先に気づいた特徴である。たとえば、上陸後三日目に横浜の日本人町を見学したボーヴォワルは書く。「家具と言えば、彼らはほとんど何も持たない。一済に小さなかまど、夜具をいれる引き戸付きの戸棚、小さな棚の上にはめしや魚を盛る漆塗りの小皿がみなきちんと並べられている。これが小さな家の家財道具で、彼らはこれで十分に、公明正大に暮らしているのだ」

本棚とか、テーブルとか無さそう。

ほとんど物がない部屋のイメージか。


 P62

日本人はおしなべて親切で愛想がよい。底抜けに陽気な住民は、子供じみた手前勝手な哄笑をよくするが、これは電流のごとく文字通りに伝播する。

わたしたちが入っていゆくと一人の女工が笑い出し、その笑いが隣の子に伝染したかと思うと瞬く間に全体にひろがって、もろい木造建築が揺れるほど、とめどのない大笑いとなった。陽気の爆発は心の底からのものであって、いささかの皮肉も混ざっていないことがわかってはいたが、わたしはひどくうろたえてしまった。


まあ、今の日本人でも、外人がしゃべりかけてきたら、笑ってなんとか対応しようとするかもしれない、、、が、みんなで笑い出すほどのことはしない。

昔はいまと違う「笑い」があったのか、、、?



P59

日本人は色々な欠点を持っているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる

絶対今の日本をみても、そうは思わないだろう。

以前ならブータンが世界一(いまはかなり落ちている様)だったが

当時の日本なら世界ランキング上位だろう。

なんでそんなに幸福そうだったんだろうか。

それとも日本に来た外国人の誤解か、、、?


P36

プーチャーチン使節団の一員として長崎へ来航したゴンチャロフがその好例である。応接の役人たちの服装をみて、「その中にどぎつい鮮明な色がないこと」が彼の気に入った。「赤も気も緑も現職のままのは一つもなくて、すべてがその二色、三色の混合職の和やかな軟い色調である。

時代劇で、町人が着る、あの茶色っぽかったり、藍色っぽかったりする服のことかな、、、、

全体的に色あせた感じのイメージがあります。

(そして遠山の金さんは、派手な青色の着物のイメージが。)

今の日本人からみても、当時の人たち、街並みは、当時の外国人と同じような印象を受けそうです。

悪い印象もあったようです。

P119

街路の穢物は際限がなかった。両側にはほとんど裸体の市民が立っていたが、みな下層階級のものであった。・・・著しくずんぐりした体格で、容貌は美しからず、しばしば痘痕のためにますまあす見苦しくなっていた

まあ、当時の日本の生活レベルは明らかに欧米に比べ低かったと思うので、

これはうなづける。


意外だったのが以下


p134

スミスは長崎で千鳥足の酔漢をしばしば見かけたし、ポンペはよる九時を過ぎると、長崎の街を通る人間の大半は酔っ払っていると言っていたではないか。フォーチュンも「日が落ちると、江戸全体が酔っ払う」と言っている。「こればむろん誇張ではない。うたがいもなく、飲酒癖は今日他の国々では幸せにも知られていない程度に広まっている。日が暮れる前でさえ、該当で出会う買おは怪しくも真赤で、酒をたっぷりと召し上がったことを示している」


そんなに当時の日本では、夜、お酒が飲まれていたとは知りませんでした。明らかに飲み過ぎです。

近代化したときに、この飲酒習慣がなくなってよかった、、でもなんでそんなに飲んでいたのか、、、安かったからか?寒さを紛らわすためか?流石に本人に聞いても、理由は分からないだろうな、、、 

「うまいから飲んでるに決まってんだろ!」


分からなかったこともあった。

p144

人々の礼儀正しさといえば、何よりも 異邦人の目を驚かしたのは彼らが街灯や家屋内で交わす 長々とした お辞儀だった。カッテンディーケ は言う。「礼儀は適度を越して滑稽なところまで行っている。初めて日本に来たものは、つまらぬ日本人同士が 道であってちょっとした言葉を交わしている間に、お互いに腰をかがめてお辞儀をし、果てしもなくベラベラと喋っている有様を見ると、吹き出したくなるであろう」

彼らは両手を膝のところまで下ろし 身をかがめ息を殺したような感じで口上を述べる

2人の知り合いが出会うと近づいて 低い お辞儀をし合う。手を足に沿って下げ 膝に届くまで 体を曲げるのだ。その時 深く息を吸い込んで "Oh"をゆっくり 発音したような 帯気音を出す。


な、なんだそりゃ。

挿絵もある。



中腰でお辞儀? 

手は前できれいに揃えている、、、

現代の日本とは違うお辞儀か?


Ohをゆっくり発音したような帯気音


というのもよくわからない。


たいき‐おん【帯気音】

〘名〙 音声学の用語。 破裂音または破擦音のうち、破裂の直後に呼気がもれるもの byコトバンク


「おー、、、」と言ったとき、吐く息が口から風が出るぐらい言う感じか?現代では発音しないな。

でも、外国人から見ても滑稽な姿だったろう。

微笑ましいというか、平和だな、という気持ちになる。


他にも今まで知らなかった「江戸時代」がわかる本。

ページをめくっていく毎に新しい世界が入り込んでくる。

たのしい!

タイトルからは残念ながらこのワクワク感が伝わってこないのですが

これは面白い。

最初、とっつきにくいと思いますが、

何か興味のある章だけでもいきなり読んでも全然問題ない構成なので、

ぜひおすすめしたいと思います。


あと、これを見て、

「昔の江戸時代っていいな」

と思おうと思ったのですが、一つ思い出したことがあります。

福沢諭吉が、「学問のすすめ」を書いた理由にもなるのですが、

当時の江戸時代は、外国にくらべて、少なくとも科学技術や経済について

あきらかに劣っている。

負けないためには、進んでいる外国の情報を取りいれ、一人ひとりが自立しないといけない、と福沢諭吉は考えてました。

貿易でもおそらく買い叩かれていたでしょう。

当時の日本の物価は、海外に比べてとても安かったようで、そういったいみでも、強くならなければならなかった。

また、こんなこともしてみたようです。

田舎道を通るとき、出会う農民に対して、あるときは自分を武士風にふるまって喋りかけ、相手は縮こまる姿を見て、あるときは商人風にヘコヘコ振る舞って喋りかけると、相手は横柄に出てくる。こんなことではいかん、とも考えてました。

(これは科学技術か進んだ日本のいまでもあるか、、、)


外国人からみて、非常に特殊だった江戸時代。


長年の平和が産んだ、多様で、明るくも、外部からの刺激で一瞬で消えてしまう風習。


消えてしまったのは残念ですが、もしかすると、また平和になった今の日本で、参考になるものがあるかも。

もしかしたら反面教師にしないといけないものかもしれませんが、海外に学ばなくても、過去の日本に、今の日本人が気づいていない「価値」があるのではないか、そういう視点でも見れそうです。