「おまえは才能がない。やめるなら早いほうがいいぞ」と演出家の先生から言われた
日本の超一流芸能人の欽ちゃんですら、若いころ、才能が無いと言われていたようです。
ここまでくると、「自分に才能があるかな」なんて考えること自体、意味がないかも。
ただ、普通の人と欽ちゃんが違うとしたら、才能が無い、と言われてから後の行動です。
大勢で同じスタートラインに立って「ヨーイドン」をすると、絶対に負けると思ったから、競争相手ができるだけ少ないところ、できれば誰もいないところへ出ていこう、と。それなら僕でも一番になれちゃうじゃない。
今風に言えば、どんなシェアでもNO1になる「ランチェスター戦略」を
自分で考えられたことですね。すごい。
そしてお笑いで一世を風靡したあとも挑戦し続ける。
64歳で社会人野球チームをつくって監督になる
73歳で大学受験
ここまでくると真似できない何かが欽ちゃんの心の中にはありそうです。
これかな、と思ったのは、最愛の妻に先立たれた後の欽ちゃんのコメント
コロナ禍だし、スミちゃんはいないし、体はちっとも言うことをきいてくれないし。僕の80代の最初の年はこんな感じで始まったんです。でも、このまま沈んでちゃいけないと思った。
欽ちゃん自信も、体がうまく動かず、家で何度も転んで病院に行ったりして、決していいメンタル状態ではないはず。
それでも、自分の精神状態を客観的に見て「このまま沈んでちゃいけない」と思える、「超客観力」が、欽ちゃんの力の起源ではないかと思うのです。
お笑いの才能が無いと言われて、「では才能が無いなりに何かできるところがないか、どうすれば面白いとみてもらえるか」という、心の切り替えとフットワークの軽さ。
悩んで動けなくなる人とは対照的です。
そして、その行動に、「死ぬ気でやるんだ!」というような、大きな熱量も感じられない。
ただ、「チャレンジ」は大切にされているようです。
これは、誰もたどり着いたことがないところは、誰も競争相手がいないので
一番になれる、という効果もあるのですが、
それを意識してか、無意識なのか。
もし欽ちゃんを見習うのであれば、
大変な時でも、「才能が無い」などと傷つくことを言われたときも、
「じゃあ、どうしようかな」と、フットワークを軽くして、
誰もやっていないことをチャレンジする
なんでしょうね。
言葉にはしてみたけど、それをやれる人っていうのは貴重だよな。。。
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