齋藤孝さんの「現代語訳 福翁自伝」を読んでいます。
この中で「書物でしらべられるもの、調べられないもの」という章があり、
考えさせられました。
この本では、福沢諭吉が、書物では書かれていない、当時の病院や郵便の運営方法、政治・政党の意味について困っていたことが書かれています。
また、当時の人に、聞くシーンが印象的でした。
「選挙法とはどんな法律で議員とはどんな役所か」と尋ねると、あちらの人はただ笑っている。「何を聞くんだ。わかりきったことだろ」というようなわけ。それがこっちではわからなくてどうにも始末がつかない。P181
書物で調べられないこととしては、大きく分けて2つが挙げられます。
1.調べたい事柄がその国の言語でしか書かれていない
英語が読めなければ、アメリカやイギリスの最新情報は得られないのは現代でも一緒ですね。
2.そもそも情報をまとめようとする必要性を感じない
自分の国では当たり前になっていて、海外の人には当たり前ではないことです。
そして、現代では、さらにもう一つの理由があります。
3.自分の好きな情報しか入手できない
フィルターバブル という言葉は聞いたことがあるでしょうか。
Wikiでは以下のように説明があります。
「インターネットの検索サイトが提供するアルゴリズムが、各ユーザーが見たくないような情報を遮断する機能」(フィルター)のせいで、まるで「泡」(バブル)の中に包まれたように、自分が見たい情報しか見えなくなること。
どんなに探しても見つからない情報が、知り合いに探してもらうとすぐ見つかった、そんな経験はないでしょうか。
現代はネットにより、かなり情報が一瞬で手に入る世界になりましたが、それでも見つけられない情報があり、それが自分が原因であるケースです。
これに対策するには、ブラウザのCookie情報を削除したり、複数の検索サイトを利用するなどがありますが、究極は、実際に現地やソースに出会い、直接情報を入手するしかありません。
このあたりのことも、これからの日本は、できれば小学生ぐらいから教育していってほしいな、、、、フェイクニュースやデマ拡散がこれからどんどん出てくると思われるので
小さいうちから対策しておかないと、大人になってうその情報に踊らされてしまいます。
お家でできることとしては、何かを家族で話したら「その話のソース(出所)は?」と聞き返すことです。もし「知り合いから」「テレビで言ってた」であれば眉唾物。
「ネットに書いてあった」はグレー、そのネットの内容のソースの確認が必要になります。
でも毎回出所聞かれるのも疲れますね、、、友達同士とかだと「うるさいやつ」と思われるだけ。大切なことなんですけどね、、、