前回の続きです。
どうすれば日本人は議論できるようになるのでしょうか
それを考える前に、福沢諭吉が明治時代に考えたであろうことを想像しながら
考えをを整理したいと思います。
Q.議論できるようになる目的はなにか
A.外国と戦うため
明治時代は鎖国から外国となり、まさに外人が日本に乗り込んできて日本を乗っ取ろうされている状況です。外人が得をして、日本人が損をする。そんな状況を福沢諭吉は危惧し、外人に立ち向かおうとしたのです。
今の日本の状況からすると、、、特に表立って外国から攻められている印象はないですね。
Q.福沢諭吉はなぜ皆に学んでほしいと思ったのか
A.おかしな状況・危ない状況に気づいて欲しいから
外国を回った福沢諭吉は、レディーファーストの精神や、国会で国の方針を議論で決める方式、銀行・新聞社などの「会社」という効率的な組織など、日本に欠けていたものを知りました。江戸から明治に代わるころ、農民や士族・商人は、今までと同様、お上が決めることを、ただ待つだけの状況を見て、「このままではみんなやられてしまうぞ」ということを気づいて欲しかったのではないかと思われます。
もしかしたら「愛国心」からかも、と思ったのですが、福沢諭吉は下級武士の生まれで、どんなに能力があっても、どんなに頑張っても出世はできない、下級武士の家系は下級武士のまま、という「門閥制度(もんばつせいど)」がありました。親は福沢諭吉に「お寺のお坊さんであれば頑張りしだいで上に上がれる、将来お坊さんにする」とまでいっていました。(福翁自伝 より)
こんな親を苦しめた制度のある日本を福沢諭吉が「好き」になっているとは思えません。でもなぜ日本の皆のために、いろいろなことを伝えていったのか。それは福沢諭吉自身が、「筋の通っていないことがゆるせないから」かもしれません。
能力のある人が活躍し、皆が正しく議論して、よりよい国になってほしい、今の国が好きなのではなく、「これから日本をより良くしていきた」という心があったから、ではないでしょうか。
今の日本人の中で、「日本をより良くしていきたい」と思う人はどれくらいいるでしょうか、、、
Q.どうすれば議論できるようになるのか
A.交際を広げ、気楽にコミュニケーション取ろうよ
福沢諭吉は「学問のすすめ」でこう言います。
世間には随分いろいろな人間がいるが、人類は鬼でもなければ蛇でもない。「ことさら自分を害する敵には、めったにいるわけもないのである。おめず臆せず、心の中をさらけ出して、気軽にだれとでもつきあうがよろしい。
今のご時世、鬼も蛇もいますね、、、
なぜか攻撃的な人、話がかみ合わない人、何も話さない人、
ある時は詐欺師、霊感商法、悪徳セールス etc.
これがもしかすると、日本が議論できるようにならない原因か、とも思われたのですが、議論好きな?アメリカでも、日本と同様に、攻撃的な人もいれば、詐欺師、霊感商法、悪徳セールスはいます。
あれ、状況としては同じだ。
アメリカでは、日本と同じような問題があっても、議論できているようです。
どうも、海外では、話をしたとき、聞いた相手が何を思っているのか「わからない」ようなのです。
なので、「わかったか」「わかってないか」「どう思ったのか」を「言葉で」いってもらわないとわからないままなので困る。ということで喋る。ただこれだけのようです。
むしろ、聞いた意見に対して何も言わないと「お前に意見はないのか!?」なんて馬鹿にされる始末。
もしだれかお話している内容が、自分にとって違っていたり、間違っている場合、聞き流すのが日本流ですが、どうも海外では場合によっては「失礼」に当たるようです。これは厳しい。察してほしい。
日本以外の、欧米諸国がその感覚で過ごしているのであれば、そこに合わせるしかない、というのが今に実情ではないでしょうか。
といっても、その場の空気や表情で察せる日本の技術もすごいと思いうので、「無理して合わせる」というと、ちょっと後ろ向きな考えですので、これを前向きに考えたいと思います。
「学習ピラミッド」という言葉はご存じでしょうか。
アメリカ国立訓練研究所の研究で分かったことなのですが、人は、何かを学ぼうとするとき、その方法によって、理解度が違ったらしいのです。
その中で、一番効果が薄いものを上にして、下に行くほど効果が高くなるものを並べたものを「学習ピラミッド」と呼びました。
例えば、一番効果が薄かったのが「講義」。
ただ、先生の授業を聞いただけでは、実はあまり理解できないことが多く、効率の悪い勉強方法だったんですね。
次に「読書」。自分から読んでいく、という方法は、講義よりはましだけど、まだ効率はわるいようです。
次に図や動画などから学ぶ「視聴覚」、実験などをしてもらうのを見て学ぶ「デモンストレーション」がきます。この辺りは、確かに授業や本で学ぶよりもわかりやすそうですね。
その次に来ました「グループ討論」
与えられた課題をグループで討論する、これが、上に挙げてきた講義や読書などよりも、効果があったのです。
もしかすると、日本人は、非効率な勉強方法を知らず知らず行っており、
欧米諸国は知らず知らずに効率的な勉強方法を実践していたのかもしれません。
日本人が今までの方法で「勉強」していると、いつのまにか、欧米諸国のひとが効率的に「勉強」して、追い抜かしていく日がくる、いや、もうすでに追い抜かされているかもしれません。
こう考えるほうがいいかもしれません。
「何かわからないことがあった。理解したい」
「問題を解決しなくてはいけない」
といったときは
「議論すれば早く、効率的に進められる!議論しよう!」
と。
むかしは学習ピラミッドのような調査結果はありませんでしたが、
福沢諭吉は、もしかすると、議論が学習効果が高いことに気づいていたかもしれませんね。
もちろん、議論しても、結論が出なかったり、ちょっと相手と雰囲気が悪くなったりする場合もあるかもしれません。
しかし、それを考慮してもなお、議論するほうがメリットが高いことが、私たち現代の日本人も実感できれば、議論は増えていくと思います。
まずは自分自身でも試してみたいと思いますが、もしご覧いただいた皆様も
これをきっかけに、議論により良い効果が出れば幸いです。